初めて私が編み物を習ったのは父方の祖母でした。
私が幼少の頃に祖母は他県から我が家に来て同居するようになり、
亡くなるまでの約6年間を一緒に過ごしておりました。
最初の頃は祖母の部屋に遊びに行く度に買い物ごっこをしていたことを思い出します。
片方がお店役、もう片方が買い手役を演じ、
手作りの紙のお金で、紙に書いたパンやケーキ等の商品を買っては
おつりを渡す遊びでした。
一つ一つの商品は、鉛筆で線が描かれた後に色鉛筆で丁寧に色塗りされており、
幼心にとても魅力的で、見ていて楽しい商品だったことを覚えています。
今思うと、買い物にはお金が必要なこと、そしてお金の計算の仕方を
遊びを通じて教えてくれていたのだと思います。
遊びの傍ら、祖母はかぎ針で私に毛糸のパンツを編んでいました。
これが、沢山もらったであろう中で唯一私の記憶にある、祖母の手編みの作品となります。
孫のお腹が冷えないようにとの一心で編んでくれたものは
少し渋めのピンク色で、とってもチクチクするパンツでした。
幼い私はそのチクチクするパンツが嫌で嫌で・・・
冬場は幼稚園に行く度に履かされて憂鬱だったことを覚えています。
小学生低学年の頃に身体計測で服を脱いだ時にも、
毛糸のパンツが丸見えとなってとっても恥ずかしかったことを覚えていますので、
結局そのパンツは数年間に渡り、私のお腹を温めて続けてくれたようです。
祖母に私自身が編み物を習ったのは小学校の低学年の頃だったと思います。
いつも編み物をしている祖母を見て私も編み物がしたくなったのでしょう。
始めは指編みで鎖編みを作る方法を習いました。
どんどん伸びてゆく鎖が面白く、ひたすら紐を作っていました。
ある日、そうして出来た長さもばらばらな紐を数本と、
毛糸をそのまま切り出した沢山の糸とを一緒に束ね、祖母にプレゼントしました。
子供心にマフラーのつもりだったのでしょう。
その日の夜、家族で外食に出かける際に、祖母はその奇怪な毛糸の束を
首に巻いて現れました。
父が「そんなのみっともない」と言っても、私に「暖かいよ。ありがとうね。」
と言いながらそのマフラーを着け続けてくれたことを覚えています。
指編みの次に習ったのはかぎ針編みです。
こま編み、長編みを教えてもらいました。
この時の出来事はあまり覚えていませんが、大分年月の経った今でも、
この二つの編み方と、祖母の皺々の手の中に光る金色のかぎ針を覚えています。
(猫を触る父の手。いつの間にか父の手にも皺が目立つようになりました。)
その後は棒針編みにもチャレンジしました。
裏編みが難しく、表編みばかりをしていたかと思います。
この頃に祖母は倒れ、1年間意識がない状態を経て亡くなりました。
編み物をしているとよく祖母のことを思い出します。
厳しく、そして優しかった祖母。
編み物をもっと真剣に習っておけば良かった。
そして、倒れてからはもっと病院にお見舞いに行けば良かった。
思い出と共に、ずっと心に在り続けている後悔です。
私にとって編み物とは楽しい趣味の時間であると共に、
懐かしく、少し苦い切なさが蘇る時間でもあります。
あの時祖母に編み物を教わらなかったら、こうして今
私が編み物をしていることはなかったかもしれません。
おばあちゃん、本当にありがとう。
思い出話にお付き合い下さりありがとうございました。
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明日から所用で少し家を空けますので2日程ブログをお休みいたします。
1/14からまた更新を再開する予定です。